国会のヤジ批判かと思ったら

 国会のヤジは聞いていて見苦しい。いや、聞き苦しい。いや、両方だ。小学生のときだと思うが、授業で国会中継を視聴したことがあった。何の審議か何の授業か覚えていないが、そのヤジに対して教室でヤジが飛んだのは覚えている
 「発言が聞こえないよ!」「邪魔してるの?」「駄目だな大人は。」等々。「静かに見ましょうね。」と先生。授業の意図はわからないが、政治に対する不信感を持つようになる、一つのきっかけとなったことは確かだ。
 テレビニュースでも、映画のニュース(昔は映画館でも映画が始まる前にいくつかニュースが流れた)でも、それは酷いものだった。ヤジどころか乱闘騒ぎまであったので、政治家は尊敬できない人々の集まりだという考えに落ち着いてしまった。
 それから長い年月が経ったが、国会はもっと酷い状況になっている。汚いヤジ、知性の感じられないヤジも多い。
 ネットで、ヤジに対する二階氏の「静かに聞け」を恫喝だと見なすネット記事を見つけた。その記事には、恫喝せしめたヤジについての言及がないのだ。これはまずいだろう。原因があって結果がある。新聞には紙面の制限があるが、ネットの記事なのだから、それはないだろう。次はその記事。
 
「オモテに出てはいけないおじさん」二階俊博幹事長を“二階語録”で振り返る
http://blog.livedoor.jp/kororoko1/archives/1066886944.html

 この記事は、ヤジの原因から書くのが筋ではないか。なぜヤジられたか。これについて言及していないので、ヤジの正当性やヤジの効果が読み取れないのだ。一方的に、「静かに聞け」という発言を、恫喝と評価しているのだが、ヤジがどのようなものであったかを書かないということが、最もまずい点だ。特に全国に中継される国会におけるヤジは問題がある。そこに触れずして、そのヤジに対する二階氏の態度だけに注目させるのは、いくら記事を焦点化して書くといっても、それは断片的すぎるだろう。
 これはヤジの擁護、正当性を主張する記事ではないが、それを前提としている記事になってしまっている。国会の伝統なのかもしれないが、まだ論争というものが未熟な時代の名残だから、恥ずべき伝統だ。それが世の中に与える影響、特に小学生に与える影響というものは計り知れないものがあるだろう。
 人が話をしている途中で口を挟むというのが、いかに無礼であるかということを教えるところから、人というものは育つと思うのだ。
 興味があるのは、「静かに聞け」の後だ。ヤジが静まったなら、それはそれで情けなく、ヤジがとまらなかったら、それはそれで愚かな態度だ。どちらにしても駄目だ。これについても言及されていない記事で驚く。記者は言葉で勝負するのからもう少し考えて記事を構成してほしいものだ。